あいつら可哀想すぎる~練習機とゼロ戦~

 終戦後間もない頃、密造ドブ酒を飲ませてくれる潜りの飲み屋があった。その地域は朝鮮人が多く住んでいて日本人は『ニコヨン』(一日の日当二百四十円)の失対日雇いや友禅の職人が多く住んでいる下町だった。
 私も時どきドブ酒を飲みに行った。縁の下に埋めたカメから柄杓でドブ酒を掬ってドンブリかコップに注いでくれる。
 私が行くと、いつもカウンターに突っ伏して泣きながらドブ酒を飲んでる青年がいた。
 或る日思いきって声をかけた。
 「兄さん、聞くけど、何でいつも泣きながら飲んでるの?」
 「あいつらが可哀想すぎる」
と言ってまた泣いた。
 「予科練を出て、前向いて飛ぶのがやっとの子供みたいな若い奴が、爆弾をくくりつけた赤トンボ(練習機)に載せられて沖縄に特攻に行かされる。俺はゼロ戦に乗ってそいつら五・六機つれて護衛する役だった。沖縄のはるか手前で敵のグラマン(アメリカの主力戦闘機)が群れて待ちぶせしている。そこに若い奴らが突っ込んで見る間に皆やられる。俺はゼロ戦に乗ってたらグラマンなんかに負けへんけど、何機ものグラマンが俺をとりかこんで、若い奴らを助けるに助けられへん。何度このまま俺沖縄につっこんでアメリカに体当たりしてやろうと思ったか知れん」
ということだった。
 ドブロクにつきものはホルモン、ホルモンと言ってももぐりのドブロク屋で出されるのは『ヒモ』と言って腸だ。コンロで焼いたり鍋で煮たり。
 ホルモンと言っても舌やレバー・心臓・胃・腎臓などあるが、そういうのはチャンとした店でチャンとした値段を払って喰うもの、朝鮮のオバチャンが屠殺場に行って、なじみになったオッサンに
 「放(ほう)るもんおくれ」
と言って
 「持ってけ」
と投げてよこすのが小腸、外見上『ヒモ』と言った。『ヒモ』はなかなか噛み切れない。
 「そこそこ噛んで丸のみしても消化する」
と言われてその通にした。
 「放るもん」が『ホルモン』の語源だったと聞いた。
_s

| | コメント (0) | トラックバック (0)

貨物列車の深夜の汽笛

 昭和30年代、国鉄奈良線の或る駅の近くに住んでいて、京都市内に通勤していた頃、仕事の都合でちょい ちょい終列車で帰宅した。
 終列車と言っても京都駅発22時20何分かで、下車駅に着くのは23時頃。
 家に帰って風呂につかっていると、下りの貨物列車が発車する音が聞こえてくる。
 ローカル線の蒸気機関車はC55かC57の中型機関車だ。
 発車するとき貨車の連結器がガシャン、ガシャンと音を立てるので
  「今日は何台連結している」
かわかる。
 下り線は駅を出て少し行くと上り坂になっている。沢山つないでいるときは機関車は全力でスタートす る。坂にかかるまでに出来るだけスピードを上げておこうと頑張る。
 機関車の煙突からの排気音が勢よく
  「ボッ、ボッ、ボッ、……」
とひびきわたるが、坂にかかると
  「ボーッ、ボーッ、ボーッ、……」
と間のびし、今にも止まりそうになる。
 ぬるい湯につかってその音を聞いていると、力の限りを盡くして懸命に貨車を引っ張りながら坂を登ってゆく機関車が、何故か吾が身につまされて瞼が熱くなり
  「頑張れ!頑張れ!」
と腹の中で応援する。
 そのうち排気音が
  「ボッ ボッ ボッ ……」
となる。坂の一番高い処を越えるとあとはゆるい下り勾配がつづく。
 機関車を苦しめた地球の引力が、今は機関車の味方になった。
 勢づいた機関車の
  「ボッ ボッ ボッ ……」
という音が遠ざかり闇の中に消えてゆくと
 『あの機関車がD51だったらあれくらいの坂、楽に越えれただろう。
  俺も少々のことでへこたれんとD51みたいに強くたくましくならんと』
なんて思いながら風呂から上がる。
 だから、私にはSL(蒸気機関車)に殊の外思い入れがある。

Nagaike01
国鉄奈良線長池駅から下り方面(奈良方面)の沿線風景。
線路は山沿いを進み、竹藪の山越えをして青谷駅に至る。(昭和30年代中頃)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

銀杏の落葉で走った自動車

 「オイ、炭もうないな」
 「ハイ、みんな入れました」
昭和20年代前半のある日のこと、木炭代燃自動車の炭が燃え尽きてガスの発生が止まった。
 運転していた熟練の親方は
 「お前ら銀杏の葉っぱ集めて、炉の中に詰め込めるだけ入れろ」
と同乗の職人に命じた。
 京都の東寺からまっすぐに南にのびている国道一号線の両側には、銀杏の並木が並んでいる。私が勤めていた工場は、それから数キロのところにあった。時あたかも秋、その銀杏の木は地面一杯に黄色い葉っぱを散らしている。その葉っぱを集めて炉に詰めろ、ということだ。職人たちは、
 「そんな葉っぱなんか……」
と思ったが、文句を言っても他にいい知恵があるわけでもなし、黄色い落葉をかかえては炉に詰め込んだ。
これ以上は入らんという迄詰め込んで、送風機を回わした。
 白い煙が立ち始めた。そこそこしてから親方はエンジンを始動させた。何回も始動努力の末ついにエンジンがかかった。
 半信半疑で見ていた職人たちは歓声を上げた。そして、無事帰って来た。
 親方の言うには
 「燃えるものは可燃性ガスを出すはずや、銀杏の落葉もうまいことくすべたらガスを出すはずや思うた。思うた通りやった」
 私はその場に居合わせなかったが、帰ってきた職人からその話しを聞いて、親方のチエに感心した。
 当時、街を走っていたタクシーは炭俵を車体にくくりつけていて、時々炉に炭をつぎ足していた。
 代燃車はキャブレーター(日本語で言うと気化器……ガソリンと空気を混合してエンジンに吸い込ませる装置)を外して、かわりに炉で発生したガスと空気を混合してエンジンに吸い込ませる混合器がついていて、運転席からガスと空気の混合の割合いを調節できるようになっていた。
 代燃車を実用化した日本人は偉いと思っていた。

Dainensya21_3  Dainensya22_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

代燃車のバスで峠越え~人間っていいものだネ~

 昭和23年頃、仕事の用事で周山というところに2・3回出張させられた。
 京都駅前から北に30kmくらいの山越え峠越えの僻地だ。
 アメリカ占領軍から民間自動車のガソリン使用は禁止されていたので、バスは薪を炉で乾留して発生した可燃性ガスでエンジンを働かせる装置をつけていた。タクシーは薪ではなく木炭でガスを発生させて走ってた。これらの自動車を当時代燃車と言うた。
 バスやトラックは出発前炉に薪をくべて火をつけモクモクと煙を出す。炉の熱さ加減と煙の色、ニオイで運転手は
  「よし、いける」
と判断して運転席に座りエンジンを始動させる。エンジンにはガソリンと空気を混合させるキャブレターという装置が外され、ガスと空気を混合させる装置がついている。
 代燃車と言うても市内を普通に走るにはガソリン車とそんなに遜色はないが、登り坂になったり、トラックなら荷物をたっぷり積んでいるとてきめんにスピードがおちる。

Dainensya_2

 バスはいくつもの坂を登り下りしながら北へ北へと進んでいく。少し開けた場所でバスが止まった。運転手が
  「ここで薪のつぎ足しをするので30分ばかり休憩します」
と。乗客はバスから降り、そこらで用を足したあと、てんでに腰をおろして、一期一会のご縁とばかりに知らぬ同士が輪になって煙草をくゆらし四方山話に花を咲かせている。
 運転手と車掌-男の車掌で運転手の手伝いもする-は炉の蓋をあけて薪を炉に放り込み一杯になると車掌が通風器を手で一所懸命回す。白い煙がモクモクと炉から吐き出される。頃合を見計らって運転手が
  「ボチボチいけるで」
と言い助手が炉の蓋を閉める。
  「ホナ、行きまほか」
と運転手が声をかけ運転席に乗り込むとお客たちもぞろぞろ乗り込む。
 バスが動き出すと道中一番の難所、笠峠にかかる。エンジンはブンブン高回転しているがガスではトルク(回転する力)が弱いのでローギアーでノロノロ登って行く。
 お客たちは声を合わせて
  「頑張れ」「頑張れ」
とエンジンを応援する。お客の応援と運転手の運転技術では力及ばず、バスは止まってしまった。運転手は
  「すんまへん。降りて押してもらえまへんか」
と。お客は文句も言わず降りてそれぞれ車体にとりついて
  「せーのよいサ」「せーのよいサ」
と力を合わせる。
 エンジンの力と「せーのー」の力が合わさって乗ってた人が降りた分軽くなったバスが動き始めた。
 峠の一番上まで来て運転手が
  「すんまへんでした。乗っとくれやす」
と。峠の下り坂、バスはエンジンブレーキをかけながら快調に走った。その坂を降り切るとそこは周山、終点だ。「ほなご免やっしゃ」
 乗客たちはちりじりに散って行った。
  『人間てサアと言うときにはいいもんだなあ』
とうれしい気持ちになれました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ヒヤサーヨイヤサー

 英語の先生が出席をとるとき
 「ミスター青山」
呼ばれた生徒は「ヒアサー」(here sir)と答えることになっていた。
 「ミスター浅井」「ヒアサー」
 「ミスター石川」「ヒアサー」
といった具合。
 「ミスター加藤」「ヒアサー」
その頃からクラスの全員が小さな声で一斉に
 「ヨイヤサー」
と声を揃えて言う。
 「ミスター北川」「ヒアサー」「ヨイヤサー」
 「ミスター木村」「ヒアサー」「ヨイヤサー」
段々「ヨイヤサー」の声が大きくなる。先生気が付いたか生徒たちを眺めまわす。生徒たちは皆すました顔をして知らんふり。
 「ミスター久保」「ヒアサー」「ヨイヤサー」
 「ミスター近藤」「ヒアサー」今度は皆大きな声で「ヨイヤサー」
それで「ヨイヤサー」は終わった。
 ミスターヒアサーの先生が
 「戦争で日本が勝ったら君たちはワシントンやニューヨークやロンドンの市長を監督する人物になる。そのために英語はしっかり勉強しろ」
と言ったが、生徒は誰一人そんな話し信用しなかった。
Kariyacyuugaku01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バカ正直

 戦争中私が通学していた旧制中学は、放課後毎日生徒に校外長距離走をさせていた。
 或る日、五年生の時だったと思う、走るのが阿呆らしくなって友人と二人途中で走るのをやめて、何か話しながら歩いて戻ってきた。
 毎朝のことだが、その翌日も運動場で全校生徒の朝礼があり、いつもの様に体育の先生が
 「昨日サボッて走らなかった者は残れ。走った者は戻ってよし」
と言い、大半の生徒は隊列を組んで教室に戻って行った。残っている者も結構いる。
 そこで考えた。
 『チャンと走った奴と一緒に戻るのは気が引ける、けど。走らなかった奴とは一緒にはならん』
Rakugosyaそこで、走った連中の隊列がそこそこ進んだ後、一人で『歩調とれ、前へ進め』とばかり歩き出した。体育の先生が
 「コラッ、貴様は何だ」
とどなった。私直立不動の姿勢で
 「昨日落伍したので遅れて戻るであります」と言い、威風堂々とは言えないが『前へ進め』と歩き出し、先行する級友たちの中にまぎれ込んだ。
 自分では至極まじめな一番合理的な行動と思ったのに級友たちのウケは
 「あいつバカか」
 「オッチョコチョイの悪ふざけか」

と散ざんだった。
Hidehiko05

| | コメント (0) | トラックバック (0)

猿のケツ

何年生の時だったか覚えてないけど、唱歌のとき
 「………山で赤いは しぐれにぬれたかえでの葉 枝にもえたつうめもどき」
その「うめもどき」の所を「がんもどき」とうたった奴がいた。
 「誰だ、ガンモドキ言うた奴は、次…」
 「………あわせほしがる猿の顔」

 「猿のケツ」
とうたった奴がいた。
先生、スックとオルガンの前に立ち上がり
 「誰だ、猿のケツ言うた奴は!」
と生徒たちを睨みまわした。
女の児たちは
 「先生が『サルのケツ』言うた」
と大はしゃぎ。先生は
 「お前たちよく聞け、他人(ひと)が作った歌を勝手にかえるな!!」
その先生、生徒たちから好かれていた。
 「ガンモドキ」と言うた奴と「サルのケツ」言うた奴が同じ奴か別の奴だったか覚えていない。
SarunokaoHidehiko02_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ごあさって

Hidehiko01 小学校一年生の時だったと思う。先生が
 「今日の次はあした、あしたの次はあさって、あさっての次はしあさって」
と、その時すかさず
 「しあさっての次はごあさって」
という奴がいた。生徒たちは
 「ごあさっての次はろくあさって」
 「ろくあさっての次はひちあさって」
女先生の金切り声が飛んだ。
 「ごあさってろくあさってなんかない」
調子に乗ってた生徒たちは先生の剣幕に驚いて黙った。
けど、不満と疑問が残った。
 『しあさっての次はごあさって、その次はろくあさって、合うてるや、きっと、先生が言う前に生徒たちが言うたので、先生バカにされたと思って怒ったんや』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地球の不思議

Hidehiko04  お父さんが地球儀を買ってくれた。
「ここが日本、ここが太平洋、ここがアメリカ……………」
と教えてくれた。昔は裸電球だったから光の当たる方と陰になる方がはっきりした。
「こっち側日が当たってる方は昼、日の当たってない方は夜……」
 いろいろ教えてくれたけれど不思議だったのは海の水
「ネエ、海の水なんで下に落ちてしまわないの?」
「地球には引力があるからさ」
「引力って何?」
 お父さん『いらん物買ってやってうるさいことになった』と思ったのか
「子供にはわからん、大きくなったらわかる」
と言って話は終わりになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お日さん

 小学生になる前だったか、お日さんは毎日東から出てきて夕方になると西の方にかくれてしまう。
お父さんに聞いてみた。
「ネエ、昨日のお日さんと今日のお日さん同じお日さん?毎日新しいお日さんが出てくるの?」
「昨日のお日さんも今日のお日さんも同じお日さんさ」
不思議だった。
『きっと地面の中にお日さんの通るトンネルがあって、晩のうちにそのトンネルを通って朝になると東から出てくるに違いない』
と思った。

Ohisama_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)